再度「百合族の部屋」

今週東京出張で運良く午後半日時間作れたので、前回から2年ぶりになったけれど国会図書館で『薔薇族』の百合族関係をざざっとみてきた。

前回見たのが『薔薇族』44-47, 50-52 号 (1977-10 〜 1978-2) だったので、今回は抜かしてた48-49号と、以降の 53-99, 101-106, 126-127 号、あと創刊1〜4付近のざっくり60冊ほど(100号は欠落)。

国会図書館で一度に閲覧できるのは10冊(束)、雑誌は厚さを揃える感じに複数号をまとめて1冊(束)扱いになっていることが多く薔薇族は大概2冊(たまに3冊初期の薄いのは4冊)が1束なので、10束3回で約60冊。(1回借りるのに15〜30分くらい待時間発生)

時間的なこともあり かなり駆け足でザルな調べ方なんで見落としあるだろうけど……前回の結果もまぜて今回の範囲のことについて書いてみる。


レズビアンを意味する"百合"の語源である「百合族の部屋」は 雑誌『薔薇族』46号(1976.11) から女性読者のお便りコーナーとして不定期に掲載された。レズビアンの方の便りもあるが どちらかといえば 薔薇族を応援する女性からのものが多いよう。

百合族の部屋」は"百合族"の説明なく開始していて、命名者の伊藤文學が百合族レズビアンの意図があったことを示したのは50号(1977.3)での座談会の中。ただ同席のゲイスタッフは女性の応援団はokだとしてもレズビアンを紙面で扱うことには反対していて、主ターゲットの読者の反応もそれに準ずるようで、紙面的には "百合族"は 雑誌『薔薇族』の女性読者、あるいは 薔薇族(男性同性愛者)に理解のある女性(応援者)、に対して扱われている。


百合族の部屋」で他の応援系のお便りに混じってレズビアンなお便りが掲載されたのは54号(1977.7)がたぶん最初。(百合族の部屋 でなく本来の読者欄でなら以前にもあったはず)


紙面において百合族=レズビアン的な用法があったのは 56号(1977.9) あたり。
この号での「百合族の部屋」では3通お便りがあり、うち2つが百合(族)関係。
そのうちの1つは"ぜひ百合族の本を!"と題された レズビアンの本も出して欲しいというノンケ女性(ただし同性愛者の友人有)からの手紙。
もう1つは、"百合の青春譜" と題された17才少女からの自身の失恋譚。"レズを毛嫌い"してると前置きしながらも15,6の2年間を共にした無二の親友との日々をつづり、引っ越し別れする彼女にテープに吹き込んでもらったメッセージは「You're my best friend.」、後は連日泣いて過ごしたという話。(投稿者には失礼だけど面白い百合話を薔薇族で読めるとは思わなかったので歓喜)

で、題。普通手紙に題をつけて出さないと思うが(読者投稿的にはあるのか?)、無くて付けたのなら編集者(伊藤文學)案だろうで、間接的にだが "百合族=レズビアン" というニュアンスを紙面で出してきたことになる。

ただ、これで紙面が徐々にでもレズビアンの部屋になっていったかというと、そうではなく、"百合族の部屋"自体が消滅に向かう。


60号(1978.1)では 読者投稿欄(人生薔薇模様)に「わが愛する百合族よ」と題される投稿で、当時の世相的に結婚しなきゃいけない男性同性愛者からの、"結婚するならレズの人しか駄目"だろうみたいな話があり、この人は百合族=レズビアンな感じに使われてた(と思う)が、

61号(1978.2)では「百合族の発言」という頁で女性読者の方からの返事があり、こちらの方は"百合族"をレズビアンにかぎらず男性同性愛者に理解ある女性全般を指す感じに使っていた。


この「百合族の発言」頁を最後に女性専用頁はしばらく途絶える。
といっても女性読者の便り自体は載らないわけでなく稀だけども本来の読者投稿欄"人生薔薇模様" に ノンケ女性からのものもレズビアンからのものも掲載されている。

81号(1979.10)の薔薇通信!の頁で、読者の要望に返事する形で伊藤文學は「百合族の部屋」は反対が多くて止めた旨を明かしている。


百合族の部屋」以外でも"百合族"の話題はたまにあるが、先にも書いた薔薇族男性の結婚相手の女性としての話が多かったと思う。

伊藤文學のコラムでは「薔薇族百合族のお見合いを!」(95号1980.12)、「薔薇族百合族のお見合い会成功を」(97号1981.2)、「薔薇族百合族の結婚て難しいぞ」(101号1981.6) があり、101号で見合いに出ない"百合族"の女性3人の事情紹介があるが、門限厳しい古風な家庭の方とか事情で男性嫌悪になってる方とか女性として特殊な状況な方々で、全くレズビアンではなさそうだった。


追記: こちら の説明で “1981年4月に「百合族コーナー」としてリニューアルされた頃には、女性同性愛者の意味で定着した。”とあり、どうも国会図書館で欠落している 100号 には百合族の頁があったらしい。(世間的にどうだったかは別にして その直後の101-106をみた雰囲気では雑誌内で定着してたかは微妙な気分だけど)


126号127号(1983.7-8)で「百合族の部屋」が復活したが、やはりレズビアン専用でなく女性投稿者のコーナーでレズビアンの方のもあるがそうでないかたのもある状態。
正直、この時点でも薔薇族編集(伊藤文學)側は"百合族=女性読者|理解者" での扱いが主だったのでちょっと当てが外れた気分。
が読者投稿での"百合族レズビアン" 扱いは1977当初から素通りなので、編集部(スタッフ)内で駆け引きとかがあったのだろうか。


126号 127号は 『セーラー服百合族』(1983/6)が公開された付近の号なので(107号から間があくが先に)閲覧したのだが、残念ながら 映画についての記述はなさそうだった。
ただ、映画公開付近の号で「百合族の部屋」が復活していること自体が最大の反応ではある。


復活した「百合族の部屋」の投稿で気になったのは
126号(1983.7)でのノンケ中3女子の投稿での“ちょっと百合っけあり”とか
127号(1983.8)でのレズビアンの方の "百合歴15年の28歳. 最初は精神的だからほんとうは10年くらい" とかの表現。
当たり前のように'族'付けずに使用していて、数年前の号よりも読者側では熟れて普及している印象を受けた。
(あ、薔薇族側の記事や読者投稿全無視してたのでそちらでの用法が転じただけの可能性もあるかもしれない)


50号での開示以外薔薇族での"百合族レズビアン"扱いは消極的なのに、読者側では百合=レズビアン扱いが広がってそうで、百合(族)の普及に関しては雑誌「薔薇族」外の要因のほうが大きかったのではと思う。

  • 伊藤文學は雑誌外の薔薇族向け活動として喫茶室 祭 というのもを運営しており、その場所での用語/隠語として百合族レズビアン扱いしていた可能性があるのでは?
  • 1977年にワイドショー「今」に伊藤は出演して同性愛者について語ってるらしい(読者投稿でちょっと言及があった)。それ以外の年にもTV出演ある模様。そういう時に薔薇族だけでなく百合族についても言及している可能性あるのでは?
  • TVだけでなく週刊誌で同性愛をとりあげるときに薔薇族百合族に言及した記事があるのかもしれない?
  • また「セーラー服百合族」以前では、シームレスに徐々に広がったのか、何かの機会(ブレークスルー)があって一気に普及することがあったのか...なんとなく1980年の佐良直美騒動が気になるのだが どうだったのだろ?
  • 雑誌「薔薇族」が男性同性愛者向と知っていれるけど読んでいない人が薔薇族百合族という言葉をみかけた時、百合族=女性同性愛者、と容易に類推しそう。週刊誌で扱ったことがあれば表紙やツリ広告とかで目にする機会があったのでは?

と、いろいろ邪推してみたりはするけれど週刊誌のバックナンバーあたるとか かなり面倒なので調べないわな(追記邪推はかなり外れのよう。と思ったけど まだ邪推の余地ありかも。読者投稿という意味ではラジオも怪しそう)


1977年に読者投稿があるので、早い人なら 1977 年から百合族=レズビアンとして使いはじめてた、と言えそうだけど、普及具合は不明。たぶん少数。途中経過の具合はわかっていないけれど 1983年の「セーラー服百合族」公開頃にはわりと普及してそう、て感じなのかな。
薔薇族の未読の108〜125号はどうしよう。また数年後か。)


追記:今だって作品/ジャンルに対してと人/レズビアンに対してとで"百合"の意味を使いわけているようなものだし、(この当時の)薔薇族誌上では薔薇族の女性応援者を意味する用法とレズビアンを意味する用法が併用され続けていても そんなものかもしれない。ただ片方の意味しか知らない/認めない人に 別のほうの意味で使うと誤解生じて面倒かもなってのは今も昔もなんだろうけれど。(薔薇族女性応援者の意味を伝えずに"百合族"を語るのもフェアじゃないような)


追記: こちら の説明で
“1980年創刊の「少女のための耽美派マガジン」『ALLAN』誌上には女性同士の交際希望欄「百合通信」が設けられ、そこでは「百合族」ではなく「百合」「百合っ気」などの言葉が用いられている。”
とあるので、たぶん、普及という意味では薔薇族よりこの雑誌の影響のほうが大きそう。126,127号の百合族の部屋への投稿者の書き方からすると この雑誌の読者(かその文化圏)の人ぽいし。てことで邪推はほぼハズレかな(77-79の場合はまだ可能性あるか?)。この雑誌でいつぐらいから「百合」が使われてるか気になるところだけど。[さらに追記] allanでの普及は81-82年付近ぽいので77-80でまだ何かありそうな気もする



百合族以外の「薔薇族」メモ


ざざっとみていて、どうも毎号広い意味で(少量だけど)女性に関するネタが載っていたように思う。伊藤文學が意図的にしかけてるように思えたのだがどうなんだろ。
百合族の部屋や女性投稿者の無いときでも、コラムで女性がらみの話を書いてたり、自著の書評を女流詩人に頼んだり(詩人のゲイに対する理解の足りなさをケチョンケチョンに責める男性読者の投稿も載せたり)。
"薔薇の小部屋"という少女の暗喩としての薔薇を冠にもつ内藤ルネの少女誌の宣伝を載せたり(個人的には興味あるけど、これって百合姫で gateauの広告を見た時の感じなんだろうな)。
"百合族の部屋"が掲載される限り「薔薇族」の購入をやめる、という読者もいるような状況でやり続けてるのは何なんだろう、と。(百合ヲタとしては百合姫で毎号男性の話題が載っている状況を想像すると「薔薇族」読者の気分が実感できるのかもしれない)
伊藤は女性読者について、現実の薔薇族男性に理解のある女性は"百合族"として歓迎しているけれど、現実の薔薇族男性を蔑ろにし創作物(少女漫画、いまでいうBL,やおい)崇拝の少女たちに対しては苦言を呈している。薔薇族男性への理解の有無が判断基準になっていて、一貫して薔薇族側に立ってサポートしている感じ。


75号(1979.6)の読者投稿。アニメーション研究会の高1の男の子が会の宴会で酒飲まされ1杯でダウンし目がさめたら先輩ちのベットで、その先輩に抱きつかれてキスされて付き合うことになって幸せという話あり。TVアニメの雑談ばかりしてるヲタサークルでそういうことがあっても不思議はないと思うけれど、1979年当時で実例あったのね、と、シミジミ。