『薔薇族』の百合族メモ 追加


今更ながら、今年3月に国会図書館で「薔薇族」のバックナンバー 106号〜125,128〜 ザッピングしたときのメモ公開しとく。
一応これで薔薇族 44-99,101-133号の、主にお便りコーナー&伊藤文學の雑文関係での百合(族)関係をザッピングしたみた状態。
※ 以前の薔薇族メモは こちら とか こちら とか

時間が立ちすぎてメモ書きの内容判別できなかったりで、適当多しだけど以下。




106号 1981.11
これまでの通信欄への投稿者の分析されてて 378名のうち百合族コーナー4名 (※メモの解読失敗してるかも)


108号 1982.1
お便り:「誤解を生む発展場」レズビアン親バレ佐良直美がTVでるたび変な目、薔薇通信でペンパ
お便り:朝日新聞10/21の2面のレズビアン問答に笑い


109号 1982.2
お便り:腐女子な方な「私の主張」


110号 1982.3
お便り:「男になったる!」23才女性の方の話


111号 1982.4
伊藤文学のひとりごと「百合族のための雑誌「イヴ&イヴ」の創刊を決意した」
「若草の会」の方の要請/協力があり、百合雑誌を出す決意をしたという話


113号 1982.6
伊藤文学のひとりごと「イヴ&イヴ万歳!」
お便り:伊藤文學がやってるゲイ向け喫茶“祭”での従業員の方々やお客さん方の百合族拒否に深い悲しみを感じるという話


114号 1982.7
ゴナドトロピン・テストステロン濃度がレズビアンは高い濃度保持?とか被験者30人と少なく胡散臭い話
お便り:薔薇族にやみつき(のんけ18歳女子高生)


115号 1982.8
宝塚ネタ:“戦前・関西の令嬢たちにとって、恋愛はきつく禁じられていた”とか“シェークスピア作品(真夜中の夜の夢、お気に召すまま、十二夜)、少女が男装し、まちがいを引き起こす”とか。


編集室から:“今日、高校二年生のかわいいふたりのお嬢さんが編集室を訪ねてきました。「阿蘭」という美少年雑誌の読者で、ふたりとも長女で、お父さんは僕と同じくらいの年齢だそうですが、亭主関白できらいだというのです。(略)最近、『薔薇族』に興味を興味を持つ女の子は、どういうわけか長女に多いのです。(略)”


116号 1982.9
編集室から:「イヴ&イヴ」、進行がのびにのびて、業を煮やした「若草の会」の小山さんが原稿引き上げ。でも伊藤文學としては自分で出したいみたいで雑誌「百合の部屋」出す宣言。※ '族'をつけないのは誤記じゃないです。


118号 1982.11
喫茶室“祭”の定休日を百合の部屋にする話


119号 1982.12
若草の会「イヴ&イヴ」刊行と「百合の部屋」は創刊おくれるという話。女性読者の協力が得られないとのこと。
喫茶室“祭”月曜定休日を百合の部屋にして、当初5,6人、何回か回を重ねて 20人こえるようになったという話(中学3年生の子も来た)


120号 1983.1
薔薇族」が協力した薔薇族映画大公開。東梅田シネマで「薔薇と海と太陽と」「白い牡鹿たち」「薔薇の星座」三本立。9/18 から1週の予定が3週となって 100席足らずのハコだけど興行収入1480万。
この結果をみた親会社の東映が、全国5都市で12/11から公開するという話。


124号 1983.5
伊藤文學のひとりごと:
薔薇族映画、去年のくれから今年の正月にかけてロードショウ、全国6大都市。東映が数千万の宣伝費を掛け、スポーツ誌から毎日新聞の映画欄で紹介され、話題になった。読売新聞にも大きな広告が乗った。
知名度は抜群にあがっていて、知らない人はいないぐらいに思うが、雑誌の売上には影響せず。今までにもテレビの「11PM」などに紹介されたが、売上は変わらず。創刊の一年たらずである数に登りつめ、12年間1割り程度上下するだけ。

※ 1983年年初付近でのこの宣伝によって一般にも“薔薇族”という言葉が知れ渡った可能性が高そうで、そんな中6月に「セーラー服百合族」は公開されたということ。


(126号,127号: 「百合族の部屋」復活)


128号 1983.9
aids特集.

※ 継続的な大問題発生で、「百合族の部屋」も、雑誌「百合の部屋」も吹っ飛んでしまった模様.


130号 1983.11
喫茶室“祭”、月ー木を女性入店可にしたという話.


131号 1983.12
薔薇通信: 百合族コーナー2通




今年2月頃のダ・ビンチのGL特集で百合ジャンル発生のいくつか明確になったこととかあって。
その興奮の延長で「薔薇族」の未確認だった号が気になって調べたのだけど……どうも自分としては一区切りついたのか気がすんでしまったようで、放置してしまってた。反省。

上記で気になってることいくつか。


実現しなかった雑誌に'族'をつけずに「百合の部屋」という名前をつけたこと

女性読者のコーナーとしては依然「百合族の部屋」なんでしょうが、たぶん“祭”の客とか Allan読者(の子の来訪)とか女性側は'族'を付けなくなってたんだろうな、と想像。そういうのを反映したのかな、と。


1983 年に薔薇族映画の宣伝によって"薔薇族"という言葉が一般に普及した可能性

個人的には、よく本屋古本屋巡りをしていたガキだったので中学生(80年代前半)の頃には「薔薇族」の名前と表紙は見知っていたし そういう人は結構いたと思うけれど、(薔薇族扱ってるような)本屋にいかない人のほうが多いでしょうね。
「Allan」でのインタビューで毎号3万部前後とあり、主要な新聞ならン百万部発行なので(2桁違う)、一般に言葉が伝わるという意味では新聞の力は大きかったのでは、と。

薔薇族映画の成功をみて、日活が女優を使える"百合族"を採用した可能性もなくもないような(4ヶ月で1本撮れないこともない……が実際どうだったかは未調査)


映画「セーラー服百合族」への言及が全くないこと

映画公開時期の126号,127号で「百合族の部屋」を復活して関節的に認めてるような気はするけれど、「セーラー服百合族」への言及は全くなく。
薔薇族映画のように協力していた映画じゃないってのもあるだろうけど、“百合族”という言葉を映画に勝手に使われたとか、"百合族"を単純に女性同性愛者でなく映画(宣伝)の独自な意味付けをしているとか、フリーライドされた気分があったのではと想像。


AIDS 騒動

当時のAIDS報道の凄まじさをなんとなくしか覚えてないけれど、すごく怖かった記憶。

ゲイを悪者にするAIDS報道に対処するためにゲイ雑誌はそうとうパワーを使ったように思われる。

で、AIDS 騒動がなければ雑誌「百合の部屋」発行されてたんじゃないかなあ。
さらに定期刊行に成功してたら“百合”という言葉の変化が進まなかった可能性高かったんじゃないかなと。そうすると1989年の「百合の栽培室」のタイトルが別だった可能性もあるし'百合'ジャンルと呼ばれるようになる可能性も低く…… (if に if 重ねてもしかたないけど)