竹宮恵子自伝『少年の名はジルベール』


数週間前の、「カツヤマサヒコSHOW」のゲストが竹宮恵子先生で、その時扱われてた書籍がこれ。(※この回GYAO!にて8/9より公開中(無料期間一週間))
竹宮恵子『少年の名はジルベール』。

少年の名はジルベール

自伝。今年1月に出てたらしい。
デビュー時期から『風と木の詩』連載開始くらいまでを中心にした話で、大泉サロン時代への言及があると聞いては読まざるをえない。(書店でみかけた時よく見ずマンガだと思ってスルーしてた、反省)


缶詰させられていた漫画家竹宮恵子の元に、たまたま上京していた萩尾望都がアシスタントに入り二人は親しくなる。竹宮はその後本格的に上京し、萩尾に紹介された増山法恵と意気投合、頻繁に合うようになる。増山の近所の長屋(アパート)に空きができた折、増山は竹宮と萩尾にルームシェアを薦め実現、そこには若い少女漫画家たちが出入りするようになり大泉サロンと呼ばれるようになる。当初は竹宮にとっても居心地のよい空間であったが、徐々に萩尾の才能を見せつけられ嫉妬や羨望で苦しむようになる。竹宮・萩尾・増山・山岸凉子の4人でヨーロッパ旅行をしたりもしたが、やはりつらい竹宮は長屋の契約更新のタイミングでルームシェアの解消を申し出、大泉サロンは終わりを迎える……


見ようによっちゃ百合なあらすじになるかな、と。大泉サロンは終わっても、竹宮先生の元には増山氏が転がり込んで一緒に生活したりするし。

ルームシェアを決めた当初の竹宮&萩尾の会話が素晴らしく。

  • 竹宮「(前略)最初にあの作品を読んだときの感激が忘れられなくってね。それで、こういう才能とだったら、結婚してもいいなって、勝手に思ってた。良かった、萩尾さんとこういう場所が持てて」
  • 萩尾(ちょっと笑いながら)「結婚!……それは……よかった。そうね、私も結婚するならあなたのような気の長い人でないと無理かも」

ええ、あざとい引用です、百合と勘違いするのは自己責任でw (そいや御二人とも結婚されていなかったっけ?)
(大泉での竹宮・萩尾の8畳間の配置見てると妄想しそうに……)


強引な百合ネタはこのへんにして、その他雑感。
正直、若い頃の竹宮先生って一緒に働いてたらシンドそうな相手だと思う(昔の同僚思い出してしまった)。捨て台詞で星座の相性の悪さを持ちだすとか、なんかもう、キツイ。ほんと編集の方(Yさん)大変そうだ。海外旅行を見送った時の「おまえらもう帰ってくんなーっ、バカ―ッ!」ってのは冗談だけど魂混じっるように思えて仕方がない。
あ、と、ディスりたいんじゃなくて、こういう若気の至りを含めて素直に書いてくれてたり、漫画家としてのエピソードとかもいろいろあって――題にあるようにジルベール/風と木の詩を描くまでの歩みが主軸の一つだし――かなり楽しめる自伝でした。(漫画でも実写ドラマでも何でもいいから物語化してほしい気分)


あと以前気になっていた山岸先生が大泉サロンへ初めて訪れた時期についても、だいたい判明。
竹宮恵子「雪と星と天使と…」(別冊少女コミック1970年12月号 のちに改題「サンルームにて」)と、山岸凉子「白い部屋のふたり」(りぼん1971年2月号)が発表された後。山岸先生は竹宮先生が少年同士の告白を扱った「雪と星と天使と…」をどうやって編集を通したのか気になって訪ねた模様。
こちらにあるように「白い部屋のふたり」は元々男同士で描きたかったものを苦肉の策で少女同士にしたらしいので、偶然、同じ時期に同じようなテーマに挑んだ、ということのよう。と、いうことで「白い部屋のふたり」の創作には大泉サロンは無関係なのでした。(すっきりした)


それと、大泉サロンでは『薔薇族』が読まれていた模様:)
(『薔薇族』1号は1971年7月発売。なので竹宮恵子山岸凉子ともに発想に薔薇族の影響なし)



追記:『ユリイカ 2012.12 BLオン・ザ・ラン!』の福田里香竹宮恵子の私信まんがコラムとBLヰタセクスアリス」で、竹宮恵子別コミまんが家新聞というコーナーに1973,1974年の段階で描いたジルベールのカット(てか描くぞ宣言)が引用されてた(連載は1976)。ほんと執念の人なんだなあ、です。