竹宮恵子自伝『少年の名はジルベール』


数週間前の、「カツヤマサヒコSHOW」のゲストが竹宮恵子先生で、その時扱われてた書籍がこれ。(※この回GYAO!にて8/9より公開中(無料期間一週間))
竹宮恵子『少年の名はジルベール』。

少年の名はジルベール

自伝。今年1月に出てたらしい。
デビュー時期から『風と木の詩』連載開始くらいまでを中心にした話で、大泉サロン時代への言及があると聞いては読まざるをえない。(書店でみかけた時よく見ずマンガだと思ってスルーしてた、反省)


缶詰させられていた漫画家竹宮恵子の元に、たまたま上京していた萩尾望都がアシスタントに入り二人は親しくなる。竹宮はその後本格的に上京し、萩尾に紹介された増山法恵と意気投合、頻繁に合うようになる。増山の近所の長屋(アパート)に空きができた折、増山は竹宮と萩尾にルームシェアを薦め実現、そこには若い少女漫画家たちが出入りするようになり大泉サロンと呼ばれるようになる。当初は竹宮にとっても居心地のよい空間であったが、徐々に萩尾の才能を見せつけられ嫉妬や羨望で苦しむようになる。竹宮・萩尾・増山・山岸凉子の4人でヨーロッパ旅行をしたりもしたが、やはりつらい竹宮は長屋の契約更新のタイミングでルームシェアの解消を申し出、大泉サロンは終わりを迎える……


見ようによっちゃ百合なあらすじになるかな、と。大泉サロンは終わっても、竹宮先生の元には増山氏が転がり込んで一緒に生活したりするし。

ルームシェアを決めた当初の竹宮&萩尾の会話が素晴らしく。

  • 竹宮「(前略)最初にあの作品を読んだときの感激が忘れられなくってね。それで、こういう才能とだったら、結婚してもいいなって、勝手に思ってた。良かった、萩尾さんとこういう場所が持てて」
  • 萩尾(ちょっと笑いながら)「結婚!……それは……よかった。そうね、私も結婚するならあなたのような気の長い人でないと無理かも」

ええ、あざとい引用です、百合と勘違いするのは自己責任でw (そいや御二人とも結婚されていなかったっけ?)
(大泉での竹宮・萩尾の8畳間の配置見てると妄想しそうに……)


強引な百合ネタはこのへんにして、その他雑感。
正直、若い頃の竹宮先生って一緒に働いてたらシンドそうな相手だと思う(昔の同僚思い出してしまった)。捨て台詞で星座の相性の悪さを持ちだすとか、なんかもう、キツイ。ほんと編集の方(Yさん)大変そうだ。海外旅行を見送った時の「おまえらもう帰ってくんなーっ、バカ―ッ!」ってのは冗談だけど魂混じっるように思えて仕方がない。
あ、と、ディスりたいんじゃなくて、こういう若気の至りを含めて素直に書いてくれてたり、漫画家としてのエピソードとかもいろいろあって――題にあるようにジルベール/風と木の詩を描くまでの歩みが主軸の一つだし――かなり楽しめる自伝でした。(漫画でも実写ドラマでも何でもいいから物語化してほしい気分)


あと以前気になっていた山岸先生が大泉サロンへ初めて訪れた時期についても、だいたい判明。
竹宮恵子「雪と星と天使と…」(別冊少女コミック1970年12月号 のちに改題「サンルームにて」)と、山岸凉子「白い部屋のふたり」(りぼん1971年2月号)が発表された後。山岸先生は竹宮先生が少年同士の告白を扱った「雪と星と天使と…」をどうやって編集を通したのか気になって訪ねた模様。
こちらにあるように「白い部屋のふたり」は元々男同士で描きたかったものを苦肉の策で少女同士にしたらしいので、偶然、同じ時期に同じようなテーマに挑んだ、ということのよう。と、いうことで「白い部屋のふたり」の創作には大泉サロンは無関係なのでした。(すっきりした)


それと、大泉サロンでは『薔薇族』が読まれていた模様:)
(『薔薇族』1号は1971年7月発売。なので竹宮恵子山岸凉子ともに発想に薔薇族の影響なし)



追記:『ユリイカ 2012.12 BLオン・ザ・ラン!』の福田里香竹宮恵子の私信まんがコラムとBLヰタセクスアリス」で、竹宮恵子別コミまんが家新聞というコーナーに1973,1974年の段階で描いたジルベールのカット(てか描くぞ宣言)が引用されてた(連載は1976)。ほんと執念の人なんだなあ、です。

百合ジャンルについて雑感 (友情モノがジャンル対象かと悩む以前に女の子を楽しむ)

前回の、人に対する百合=レズビアンな定義と、作品に対する百合ジャンル的な定義が並立している、というのが自分の認識なのだけれど、じゃあ百合ジャンル的な定義がどうかってのを少し考えてみる。

百合の定義は各人各様のようで、行為 OK/NG?、恋愛のみ?、友情のみ?、プラトニックのみ?、恋愛NG?、LGBT的リアリティOK/NG? 等など…… "百合"という言葉だけで自分の欲するものをフィルタリングしたいという気持ちはわからないでもないけれど、すでに百合扱いされている多くの作品群をORしていくと結局、“女性同士の関係が描かれた作品” くらいにしか言えない状況なので、もうこれくらいがジャンル定義でよいじゃないか、と個人的には思っている。

少なくとも商業誌は概ねそんな感じに広い定義で扱っているように思える。百合姫でのライターさんや編集さんがする百合作品紹介なんかをみているとね。百合に限らずSFやミステリとかも商業誌はわりと広めの定義を採用してそうな感じだし。呉越同舟的に広く太っている方が生き残りやすいんじゃないかな。


自分を思い出すと ハマった当初は "百合=レズビアン" に引きづられていた。恋愛モノ・性愛モノはすんなり百合作品だと思ったのだけど、友情以上恋愛未満的な作品についてはどの程度の濃さなら百合として扱うのか、と悩んだりした。少なくとも、女の子ばかりだけれど“二人の関係を濃く”描くわけでもない日常系作品などはジャンルに含まれるとは思わなかったし、姉妹モノとかライバルモノとかもどうかと思っていた。

今は、ただの友情モノも含めて百合ジャンル作品なんだろうな、と思っている。

自分に限らず、百合=レズビアン前提で百合作品をみはじめると、“友情モノ”を含めることに、濃い関係でもその先が恋愛に到達しないような関係のものまで百合扱いすることに、最初は抵抗あるんじゃないかな、と思う。もちろん最初どころか只の“友情モノ”は含めないという百合ファンも結構多そうに思うし、ほんというと今でも友情モノは悩んでしまうことが多いのだけど。

恋愛モノと友情モノ

大雑把に、今の百合ジャンルには 恋愛モノと友情モノがあるのだと思う。(友情百合という言葉はわりと定着している感あり)

実際にはその間をグラデーションに存在する、友情以上恋愛未満や共依存的なモノ・腐れ縁的濃い深い関係等を扱う作品も多いけれど、一応どちらかに振り分けられるとして。姉妹やライバルなんかもムリすればどちらかの関係に振り分けられるとしとく。(ほんとは友情以上恋愛未満系を主に楽しむ層が多そうな気もするけれど、後回しにして一旦忘れる)

両方を楽しむ層は多いと思うけれど、どちらか片方しか楽しまない/認めない層も結構居られるようにもみえる。
百合の原義的には恋愛を含めないのはナンセンスに思うけれど、友情モノ(のみ)を求める気持ちもわからないでもない。(男女の)恋愛モノに対しては“恋愛めんどくせぇ”とか“恋愛全くダメというわけでないけれどストライクゾーンが狭い”等はあるので友情モノのほうが気楽に楽しみやすい面もある。


友情モノを百合ジャンルに入れるかどうかは別として、女性同士の友情モノを楽しみたいという需要は結構あると思うのだ。(下手をするとそちらのほうが多い可能性もあるかもしれない)

今の少女誌・女性誌は“恋愛専門誌”的な側面が大きいし、少年誌・青年誌は男性同士の“友情主体”の作品は多いけれど、男女誌双方とも相対的に 女性同士の“友情主体”の作品は少ない、と思う。( まんがタイムきらら等の萌4コマ・萌漫画系は一大勢力で多量にあるけれど)

なので、呉越同舟的に百合ジャンルに友情モノが捕捉されるというのは、そう悪いことじゃないと思う。


ただ友情モノの楽しみとしては

  • 友情話自体を楽しむ
  • 友情な関係を元に二次創作的妄想を(経由して恋愛的に)楽しむ

があるようだ。
正直後者についてはググッてみかけた件から書いてみたのだけど……友情百合の存在理由が二次創作的妄想の有無だとすると前提が崩れた気分。二次創作BL(やおい)の元ネタになるような少年誌作品をBL作品とは言わない(言いたくない)のと同様に“元ネタ”になるというだけでは百合作品とは言いたくない、という感覚があるので……なので百合ジャンルで友情モノが含まれているのは別の理由(需要)のほうが落ち着きます。

友情以上恋愛未満

前記ではあえて避けたけれど、友情以上恋愛未満〜淡い恋愛くらいを主流として添えてるファンは多いかもしれない。

ジャンル始祖的な『花物語』にしても中興の祖的な『マリア様がみてる』にしても、深い絆・濃い友情・友愛・先輩後輩の親愛等、直接の恋愛も無いわけではないけれどソレ以外の(恋愛に近いが別の)関係のほうが多い。
読者としてもその流れのモノを求める層は多かったのではと思う。


百合姉妹 Vol.1』(2003)での定義だと “思春期の少女に特有の、少女同士の行き過ぎた愛情” となっている。(今となっては年代を感じるような)
きずきあきら+サトウナンキ『エビスさんとホテイさん』のあとがきでの「つぼみ」の編集者さんは 「寸止め」「ほんのり」「恋と友情の間」 と表現。(あと作者側で「ほほーエロは抜きと」とある)
ジャンル誌的にも、このへんを狙って作っている(いた)様子が伺える。


ただ2000年代前中期に比べると、2010年代は作品数が激増していて、ジャンルの質・幅も広がって、単純に言い切れない状態になっているようにも思う。

何を楽しんでる?

百合の定義というわけではないけれど、百合および百合周辺作品で何を楽しんでいるかを考えてみると

  1. 女の子を楽しむ
  2. 女の子同士の関係を楽しむ
  3. 男の扱いが重要でない(男女の'関係'の比重が低い)

という感じだろうか。(あくまで野郎な自分基準ですが)

そもそも女の子同士の関係を楽しむ以前に“女の子”自体も楽しみたいわけだ。

“女の子”を楽しみたいから、その関係が、“恋愛”だけでなく“友情”でも“ライバル”でも“姉妹”でもよいわけ。百合に含まないだろうけれど楽しみとしては“独り”の話でもよいのだ。(最近の「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」なんかはレズビアンの話だからジャンル対象というのはあるけれど、お話的には他者(キャスト)との関係性はほぼ皆無なのでメンヘラ女性の自分語りが楽しみの主だろう)
女の子たちに某かの魅力があるのが前提ともいえるけれど、女の子だからと閾値は低くてもokな面もあるかもしれない。


どういった女の子/女性を楽しむかは、受け手の好み次第ではある。
性格や容姿、環境(シチュエーション)。
少女漫画・少年漫画・萌漫画・レディコミ・青年誌・成年誌…等各々での枠組みの中での女の子/女性キャラ。
まんが・アニメ・実写作品のキャラの場合もあれば、アイドルや(アイドル)声優、などの生身も。
百合として楽しむ対象の女の子はいろいろありそう。


女性キャラの“感性”のようなものに感じ入る場合は、その作者の性別も気になる大事なコトだろう。
瑞々しい女の子の感性に思えたものが実は野郎のモノだったりすると消沈する気分はあるだろう、で。(女の子だと思ったら男の娘だった、というのはそれはそれで吉としても別種の楽しさ)
読者・視聴者が、アイドルと、ベテラン歌手や女優とで求めるものが違うように、新人作家とベテラン作家とでも求めるモノは違うわけで、男性作家でも旨い百合作品であれば全く問題なく……つまり男性百合作家には最初からベテラン(技巧)を求めてるのかもしれない:)
(といっても、中には、見目はかわいい女の子キャラだけれど中身は男(おっさん)キャラに思える作もたまにあったりするけれど、結局許容してることも多いので、そんに気張って作家性別を気にしてるわけでもない)

男キャラ

百合において基本的に男は邪魔だろう。

男や、男女の関係を描かれると、その分、女性や、女性同士の関係の描かれる絶対量が減るわけだから。

そもそも(男女モノ含め)恋愛モノがそんなに好きでない人も多いかもしれない。全くダメと言う人はいないと思うけれどストライクゾーンの狭い人は多そうだ。特に女性よりも男性の場合は。
もちろん現実世界のリアリティを作品に反映しようとすると男不在の状況はともするとファンタジーになるので、ほどほどに存在してくれるのがよいのだけれど、男量が多いとやはり目減り感はあるかもしれない。


(追記:以下、ざっくりと典型的な"男性"/"女性"を思い浮かべて……個々を持ち出すと当然いろいろありなんで)
百合に限らずだけど、少女漫画・女性漫画での男性キャラの描かれ方は読み手(自分)の興味に影響する。
女性の求める男キャラと、男性が求める男キャラは違うと思う。特に、“カッコイイ男性”像は乖離が激しいと思うのだ。(ゲイ男性と腐女子とで求めるものが似てそうで全然違うのはそういうのもあるのではと思う)

個人的には女性のいうカッコイイ男性キャラをカッコイイと感じれることは少ない(旨い作家さんもいるのでゼロではない)。
少女漫画は好きだけれど、だからと言って王子様キャラに惚れることはない。女性読者ならそれ目的で読めたとしても男性読者としてはそれは動機にならない。王子様キャラに駆動されて動く女の子たちに魅せられるから読むわけだ。テンプレ的にカッコイイと定義されたキャラとして楽しむコトはあるにはあるけれど動機まではならないのね。


思えば、少女漫画の男性キャラにあまり興味ないのかもしれない。
だからなのか、百合だと双方女性キャラなので、男女の恋愛モノよりも広く興味もって恋愛モノを読めている気がする。三角関係とか浮気とか男女モノだとさして興味ないものでも、百合となればおいしくいただいている。

逆に、百合にハマってからこっち、少女漫画をあまり楽しめなくなっているかもしれない。以前は女の子みたさに男キャラに対して目をつぶれていたものが、どうも我慢できなくなってしまったようだ。

結局(百合に限らず)、男キャラが出てくる場合は、ある程度以上納得できる男キャラが描けてる作品しかダメなんだよな…… といっても、年齢低めの少年キャラはわりとokだったりするかもだけど。


※ 少年・少女って、少なくとも創作上は結構近い存在なんだと思う。
女性作家でも少年キャラはわりと納得することが多いし、男性作家の少女キャラも個人的には少年入ってるなあと思うことがあっても女性読者の感想はちゃんと少女として共感していたりする。(もちろん旨い作者の場合ならば、だけど)
性差よりも子供と大人/ジェネレーションギャップのほうが大きいのだろう。
大人は“子供”を経験しているけれど、“大人の異性”は実体験していないわけで。

逆の意味で老男・老女も納得しやすいのかもしれない。生物的・社会的に性差は減るし、その年代になるまでは老人を未体験なのでテンプレキャラでも十分納得してしまえる面はあると思う。


追記:百合とあまり関係ない話になってしまったけれど……酷い言い方をすれば、ツマンネぇ男なら居ないほうがマシ、という理由で百合を好んでる面もあるかもしれない。

“百合=レズビアン”が一般的なんだと思う


百合にハマって浮かれてた当初、オタクな友人やオタクな妹にそのことを言ったところ怪訝な顔をされたことがある。どうもレズAVかなにかにハマったと思われてしまったようだった(誤解解けたか微妙)。

考えてみれば当たり前なのだけど、1980年代90年代に言葉を覚えた人にとっては
  百合=レズビアン
なわけだ。もちろん花を除けば、だけど。
(追記:ここではバイ含む広い意味でのレズビアンということにしてください)


百合ジャンルに興味を持たないかぎり、百合ジャンル的な意味は知らないだろうし、知ったところでそうそう受け入れないだろうと思う。

逆に百合(ジャンル)ファンが"百合"を語るとき、意図的にか無意識にか、百合=レズビアン、について避けていることが多いように思う。語源としては認めてるけれど現状は違うような感じに…… (『百合男子』とかも)


実のところ現状、人に対する百合=レズビアンの定義、と、作品に対する百合ジャンル的な定義、が並立している状態だと思う。
少なくとも、百合=レズビアン、を先に刻み込まれているファンからすれば、だけど。(百合ジャンル的な定義を先に覚えたファンは違うかもしれない)


百合ジャンルは2000年代に入ってから興隆してきたわけだけど、同時に“百合=レズビアン”もまた普及したのだと思う。ハスメド等の百合カップルスレも(楽しみ方はどうあれ)根本は人の意味だし、牧村朝子 『百合のリアル』のようにレズビアンの方が用いる"百合"もまあ人の意味のことが多そうだし。ラノベ&アニメ(『俺妹』)で以前ならば“レズ”と表現したであろうところを“百合”という言葉が使われたりすることがあるのは百合ジャンルの普及の影響だろうけれど、意味としては百合ジャンル的な定義でなく“百合=レズビアン”が(再)普及しているわけで。


再普及と 1980,90年代に言葉を覚えたであろう年配の世代の人口を思うと、“百合=レズビアン”の意はそうそう滅びそうにないんじゃないかな。

百合ジャンル作品が社会現象になる(今の数百倍)くらい普及すれば違うかもしれないけれど、今の百合ジャンルファンが百合=レズビアンをレガシーにしたり見ないことにして、(人それぞれではあるけれど)唯一な百合ジャンル的な“百合”を定義したところで、ジャンル外の人にとっては変わらず“百合=レズビアン”であり続けると思う。


追記:"レズビアン"と書いたけれど、相手が女性のときの女性のバイの方も含んでるつもり……問題あるかどうか……LGBTのLとBで普通別々だとするとあまりよくない書き方だったかもしれない。ひょっとして"女性同性愛者"と書いたほうが無難か?違いない? そう思うと 人の意味での“百合”は女性同士前提でLかBかは問わない表記になると思うので使い勝手がよいのかも。 = でなく ≒ で“百合≒女性同性愛者" と表記したほうがよかったかな。

『おにいさまへ』での百合の花

『anise1971-2001』をぱらぱら読み返してたら対談で「アランの通信欄にはずいぶんお世話になりました」のような記述があって、『allan』はちゃんと当時のレズビアンの方の役にたっていた模様。逆にいうとレズビアンミニコミ誌と『allan』以外では当時そういう雑誌はなさそうな感じだったのかな、と。もちろんレズビアンの方の基準だから、"百合"という言葉が他の雑誌で使われていた可能性については別問題だけど... ただ言葉を使う人が集まらないことには使われ続けないだろうとも思うので、薔薇族以外で常時"百合"という言葉が使われたメディアは allan が最初なのかも、という気が結構してきた。もちろんallan以前にも"百合"という言葉を使ったメディアはあっただろうけど単発的だったんじゃないかな、と(ミニコミ誌関係はどうだったんだろ?)。

(※aniseのJUNEの説明で"当初は女同士ものなども掲載されていた"とあったので、試しに1978年のを1冊購入。残念ながらそういう作品はなかったけれどレズビアンの方の投書が載っていた。でも"百合"という言葉は使われておらず)


もともと "百合"の花の描画が、作者の意図として、エス的/同性愛的/百合ジャンル的なニュアンスの暗喩として成立するのはいつからなのか、が気になって調べていたわけなんだけど、少なくともallan内で普及する(1981,2)以前は、(1976以降に)百合が描かれてても暗喩の可能性はかなり低いんじゃないかな、と思えてきてる。

なのでググってみかけてた こちら での赤毛のアン(1979)の女の子二人の手前に百合咲く場面については時代的に偶然だと思う。1979だと言葉"百合族"は存在しているけれど薔薇族読者でも"百合族薔薇族女性読者"と思ってる人も多そう?な時期だし、なにより"百合"という言葉に"エス"のニュアンスがまだ混ざっていない時期だろうし。薔薇族の対語として百合族レズビアンの性的な意味合いの強いまま、少女(童女)二人の関係の暗喩として用いることはないんじゃないかな、と。

前回書いたように具体的なことはわかっていないけれど、エス的なニュアンスが混ざった"百合"が一部の好事家にでも使われだすのはおそらく1980年代後半から1990年代前半のどこかのタイミングじゃないかなと睨んでるので... 少なくとも80年代前半以前ではエス的なニュアンスのある使い方はまだなかったのではと思う。


気になるのはアニメ版『おにいさまへ』(1991-1992)。
第15話で、ソロリティを辞めさせられた仲矢さんが庇ってくれた主人公の奈々子にお礼をいうシーンがあって、ここの会話自体は原作漫画にもあるけれど(ただしバスの中)、アニメの仲矢さんはさらに1輪のピンクの百合の花を奈々子に渡していたりする。わざわざ描いてる以上意図的なわけで……
仲矢さんの反感が好感に変わって友情がメバエたような場面で、同性愛のニュアンスがあるとするのは無理がありそうだけれど、仲矢→奈々子でエス的なニュアンスの感情があるかもってのなら、それはありのように思える。
で、そういう暗喩だとすると1991年の時点で"エスの混ざった百合"があったということなるのだけど、仮にあったとしても広くは普及はしてなさそうで、主要スタッフに好事家がいたか、作品テーマ的に研究していたか、してなきゃで……それはありえるものなのかどうか。世間的に大流行したわけでもない、その時点で10数年前の漫画をわざわざアニメ化しているのだから『おにいさまへ』に拘ってた人はいたのかもしれないけれど……。(百合ジャンル的な機運って当時あったのか?)

意図的な暗喩だと思いたい反面、制作された時期を思うと単なる偶然、百合的なモノとは全く関係のない演出意図で描かれた花の可能性も高そうで...悩ましい、です。



※前回失念していたけれど1990年代初頭の百合ジャンル?ファンに「おにいさまへ」は影響のある作品だったんですかね? 地上波でなくBSだから出来たような作品だと思うけれど、BS故にそれほど知られた/視聴された作品でもなさそうで。(レンタルビデオはどうだったんだろ)


おにいさまへ… COMPLETE Blu-ray BOX おにいさまへ…DVD-BOX1

"百合"普及についてのメモ

追記: まず1976年に男性同性愛誌『薔薇族』に女性読者のコーナーとして「百合族の部屋」が誕生、1977年に編集長的には百合族=レズビアンの意があることが表明される、が、雑誌的には女性読者の意味での使用も長く続く。1983年のポルノ映画『セーラ服百合族』で言葉が一般へ普及したと言われる。耽美雑誌「allan」には3号(1981)にて伝播)


「allan」では 1981年後半くらいから1982年にかけて百合という言葉が普及した感じだけれど、「allan」 から 「OUT」 や 「ファンロード」に'百合'が伝播したのか、気になったので 年数ばらけて80年代のそれらを古本購入。OUT 7冊、ロード十数冊。(少々痛い出費だったけれど国会図書館か米沢図書館を目当てで東京行くよりかは安いのでよしとしとく)

ざらっと紙面眺めた感じ、やっぱりそんなルートは無さそうだ、というのが結論。
雑誌の性質的に、百合という言葉はおろか百合系のネタもほぼ無いし。(気がついたのはOUT1986.2のダーティペア特集で'ユリ'のダブルミーニングネタくらい。 OUTからすれば増刊に隔離してるんだから本誌で扱う必要もないものな)


追記:実は「Loveゆり組」が1991年12月にエロ漫画雑誌として創刊されていた。こちらによると3号まで出たらしい。また2002年に単発アンソロジーとしても出ている。ただし'レズ'の別名としての'ゆり'のようで百合ジャンル的なニュアンスはなさそう。


1993年に描かれた「花井ちゃんのレッスン」からすれば当時から"百合"創作という言葉はあっただろうで、百合同人活動していた人たちはいただろう、思うのだけど。

1992年から始まったセラムンブームで百合需要は拡大してたはずで(公式カップル はるか&みちる が出てくる第三部は1994年だけど)百合二次創作作品は増えてたのだと思う。ただ'百合'という言葉が普及してたのかはわからない。女性には普及したけど男性には普及しなかった、とかありそうな気もしてくるし。このへん当時を知る人が語ってくれるとありがたいのだけど居られないものですかね。

追記1998年の小説アンソロジーカサブランカ革命 ― 百合小説の誘惑」は副題のように“百合”表記ありだった。“百合”のルビは“カサブランカ”だけど。続編は「カサブランカ帝国 ― 百合小説の魅惑」(2000年)

“ソフトだけど完全に百合”という言葉が肯定的に引用されてるマリみて2巻1999年2月の発売。web で1巻(1998年4月)をこう評したサイトがあったから載っているわけで、この頃には百合愛好家がネットで活動していた、と。ただ、今ググると、簡単には古くからやってるサイトはみつからないよう。(ザルな調べだけど1999年に百合に言及している頁はあるにはあった。丹念に古いリンクさがして internet archive 使えばもっと見つかると思うけれど不精)

ちなみに1993-1999の間で"百合"という言葉が出てくる本は手持ちではなさそうだった(追記:カサブランカ2冊あった)。レズビアン誌の『フリーネ』とか『ANISE』とかでも使用しない言葉だったよう。ウテナもこの時期だけど手元のムック1冊のスタッフインタビューとかをみても百合という言葉は使われてなさそう。他のムックやアニメ誌を調べたわけじゃないので違う可能性はあるけれど、普及してなさそうな印象。(※ジャンル的な使い方ではないけれど、一応、"新・百合族"シリーズはこの時期の作品)


マリみて2巻の次に "百合|ゆり" という言葉が出てくる(手持ちの)本は、2002年11月の成人向漫画アンソロジー『Loveゆり組』追記修正:1991年に一度雑誌として創刊されていたモノだった。どちらにしても百合ジャンル的な意味での'ゆり'ではなさそう。(が、この時期に復活したというのは百合ブームを認識していたのかも?)


その次が2003年6月の『百合姉妹vol.1』。途中で百合姫に変わるとはいえコンスタントに刊行されていて、ネットでの百合サイトは2004年以降多くなってるように思われるので、百合ブームの軸(の一つ)として、言葉を普及させたモノとして、百合姉妹/百合姫の影響は大きそうだな、と思う。

追記2003年11月発行のアンソロジー『百合天国』の編集後記には「後年“百合元年”と呼ばれるのではないかと思えるくらいに、今年は“百合”がブームとなり、」とあり、ブームを実感されていた模様。


ところで海外の Yuricon がこの名になったのは 2002年。つまり『百合姉妹』の影響は無し。それでも"Yuri"を採用してるのだから、2002年時点でもそれなりに興味ある人には無視できない程度には"百合"は流行ってたってことなのだろう。

1999〜2002年で百合ジャンルが広がる一番の理由はマリみてブームだろうけど...やっぱり“ソフトだけど完全に百合”の記述が "百合"という言葉が広がるのに効いていそうだよなあ。
他にも要因もありそうに思うのだけど、当時の事情あまりわからないし...大事なもの見逃してるのかな。


(2016-10-15 「百合天国」追記 2016-10-17 「Loveゆり組」関係の記述を修正.『薔薇族追記)