セーラー服百合族メモ

セーラー服百合族2」を視聴(1は結構前に)、で妙に納得した所があってのでメモ書き。


セーラー服百合族」(DVD以降 制服百合族)は"百合(族)"という言葉を広めた作品として紹介されるけれど、からみシーンの大半は男女のモノなのでレズビアン/百合モノとしてはイマイチな評価のよう。
なんだけど、イマイチだと覚悟して見てみれば、以外に"百合"していて楽しめた。

男女のカラミが多いとはいえ、主役二人、高校3年生の、女の子同士の仲良い日常とか相手に対する嫉妬とか仲直りとかカラミとかも描かれていて、そのへんは十分百合作品らしく。
成人映画なので同性愛を無理に悲劇にする必要ないってのもあるし、なんとなくマンガの実写化作品のような雰囲気もあって、一般漫画誌やTLでの男絡む百合系作品に近い印象あり。


気になったのは「セーラー服百合族2」の終わりの方の会話、

 なおみ「わたしとは恋?」
 美和子「……ちがう、もっともっと別なもの」

恋愛以上の強い絆を示そうとした表現ではあるけれど、逆に恋愛面を閉ざしたようにも。二人の、男性との関わりを思えばいずれは将来は別々に結婚しそうだし、作り手側が"少女期の一時的な気持ち"のような扱いをしてるような気がした。ある種のエス的解釈をしているのかな、と。

そう思うと、そもそも作られた時代的には、少女たちで"同性愛"だと、レズビアンどうこうすっ飛ばして、むしろ "この年頃特有の一時的な擬似恋愛" として扱う/考えるのが普通なのかもしれない。


また "百合族"という言葉があって作品が作られたのか、高校生モノを作るにあたって"百合族"という言葉を選んだのか、気になるのだが、後者だと花から受ける印象や、たけのこ族とか太陽族とか若者をラベリングするのに使っていた"族"という言い方にマッチすることもあって、"若い女の子の同性愛" みたいな印象を与えていたんじゃないか?という疑念を抱いてしまう。


百合にエス的なニュアンスがいつぐらいから混ざったのか気になるのだけど、言葉を普及させたという作品には"百合族"だけでなく少女を示す"セーラー服"も付いていて作品自身も"エス"的な要素を持っていたわけで……混ざるべくして混ざった、のかな、と。


その他

1を見る前はAVとか「マリア様がみてる」のようなものを想像してたのだけど、全然違い、エキストラいて学校ロケしてたり車一台崖から落としたりとちゃんと映画だった(逆にボカシやモザイクの必要なシーンはなくエロとしては控えめ)。ああでも それなりの映画を期待すると肩落とすかもしれない。美和子はちょっと棒気味だし。けど、なおみは結構よく(2で不倫おっさんが奥さんの差し入れに心動かされてるのをみて後押しするところなんか特に)


1では二階にある一平の部屋へハシゴを使って窓から出入りしたり公夫がラジコン化したボストンバックを操作して盗撮してたりのあたりはマンガ的に思えたりしたけれど、2では開始すぐさまの軽井沢駅の前をジープを横切るのを見て "軽シン(軽井沢シンドローム)" を連想。
駅前シーンではモブあつかいだけれど、ジープはそのあと登場人物の乗り物として頻繁に登場する。(ので駅前のは意図的な撮影)
監督のwikipedia頁みれば、実写版ビーバップハイスクールを撮った方のようで、その他マンガ原作モノ多数(デビルマンで悪名をはせてるが)。マンガ関係好きで撮ってそうに見えるので、軽シンも読んでそう。1983年なんてまさに人気連載中の時期だし。(エンディングの青春群像劇ぽさとかも)

と監督が意図的かどうかにかかわらず、たがみファン的には、連載期の"軽井沢"の風景が見れる参考資料としての価値ありでした。